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社内ユーザーをどう説得するのか。三井物産のデジタル・グランドデザインから学ぶ「勘と直感」からの抜け出し方
グローバルなビジネスが急速に変化を遂げている中で総合商社は勘や経験に頼った経営判断だけではやっていけなくなりつつある。そんな中で三井物産はDX戦略を通して全社員がデータを活用して迅速で正確な意思決定ができる体制を目指しているという。
ではどのようにDX戦略を進めているのだろうか。三井物産でDXを推進するデジタル総合戦略部CoE担当部長補佐の中島ゑり氏は次のように語る。
「わが社が考えるDXは基本的には事業現場にあるノウハウや技術などのオペレーショナルテクノロジーにデジタルパワーを掛け合わせてトランスフォームしていくことなのです。これをグループ全体にどう広げていくのか、ということが大きな課題です」
「オペレーショナルテクノロジー」とは商品知識やビジネス知見、営業力、物流機能、法務、人事、プロマネなどの商社のオペレーションノウハウのすべてを差す。つまり現場力そのものだ。
これにAIやIoT、ロボティクス、ビックデータなどの「デジタルパワー」を掛け合わせることで、生産性向上や競争力強化、新ビジネスモデルといったバリュー(価値)を生み出していくというのが目標だ。
では具体的にはどう進めているのか。それは三井物産が2021年3月期に策定した「DX総合戦略Vision」の中に記されている。
三井物産のDX総合戦略は「DX事業戦略」と「データドリブン(DD)経営戦略」の2つから成り立ち、DX事業戦略では、各事業現場の保有するデータにデジタルの力を掛け合わせて、新たな価値を生み出すことで、事業の強化を狙う。またDD経営戦略では、データを徹底的に使い倒すことで、迅速かつ正確な意思決定を行い、事業経営の強化を図るというものだ。
DX事業戦略の主要攻め筋は6つ。
- 既存事業・アセット基盤でのDX(主要本部:プロジェクト本部、モビリティ第一本部・第二本部、案件実績:デジタルツイン、船舶運航最適化)
- 売買・物流基盤でのDX(主要本部:食料本部、コーポレートディベロップメント本部、鉄鋼製品本部、ベーシックマテリアルズ本部・パフォーマンスマテリアルズ本部、案件実績:RPA/AI-OCRによる業務効率化、物流ソリューション)
- 消費者事業基盤でのDX(主要本部:ウエルネス事業本部、流通事業本部、ICT事業本部、案件実績:医療データプラットフォーム、D2C型商品開発)
- 社会インフラ等の大型DX(主要本部:モビリティ第一本部・第二本部、エネルギー第一本部・第二本部、案件実績:自動運転、発電需要予測、RE分散電源)
- 新規技術活用視点からのDX(主要本部:ICT事業本部、コーポレートディベロップメント本部、案件実績:ダイナミックプライシング、不動産STO)
- 産業破壊/創成視点からのDX(主要本部:エネルギーソリューション本部、コーポレートディベロップメント本部、案件実績:森林DX、量子コンピュータ、秘密計算)
こうした取り組みを進めていくためにまず必要となってくるのがITインフラの整備だ。その大きな取り組みのひとつが基幹システムの見直しだった。
DX推進のきっかけを作った基幹システムの刷新
三井物産はこれまでにも2004年11月にはSAPのEnterpriseをベースにしたMICAN(Mitsui I can!)を導入し、2010年からはSAPのERP Central Component(SAP ECC)6.0をベースにしたMIRAIを導入してきたが、SAPは標準サポートを2025年末(2020年に2027年まで延長すると発表)に終了することを明らかにした。
そのため三井物産としても基幹系システムの見直しをしなければならなかった。そこで2017年に基幹システムの移行プロジェクトの検討が始まった。
この開発には三井物産のIT推進部(のちにデジタル総合戦略部として案件を継続)と三井情報の延べ340人が関わったといわれている。
当初は抜本的な再構築も検討されたが、費用がかさむうえ開発に2年という長期間を要することなどを考え併せて、最終的に決まったのがSAP S/4HANAの導入だった。
SAP S/4HANAは「インメモリデータ処理プラットフォーム」で、すべてのデータをメモリー上で保有するため従来のERPソリューションに比べて高速でデータ処理することができる。
これを基幹システムとし、国内拠点と国内のグループ会社で分けて運用していた「インスタンス」を1つに統合した。インスタンスとはオブジェクト指向言語におけるクラスと呼ばれる設計図を具現化したプログラミング概念のひとつで、これを統合したことにより、本社とグループ会社の垣根はかなり低くなった。
そしてSAP S/4HANAはインターネットによって一般に提供されるパブリッククラウドや自社専用のプライベートクラウド、自社運用のオンプレミスなど自由に展開が可能となっている。
2018年11月にはクラウドサービスの稼働基盤をオンプレミスで運用していた旧システムを、米Microsoft(マイクロソフト)のパブリッククラウドサービス、拡張性を高めるため「Microsoft Azure」へ移行。
そしてDD経営戦略の要となるデータマネジメントプラットフォーム「DMP(Data Management Platform)」にMicrosoftが提供するAzure Databricksを採用した。
SAP S/4HANAは既存の基幹システムで活用してきたアドオン(機能を追加するためのプログラム)が流用可能であったことから、システムコンバージョン方式が活用された。
アドオンを含む既存のSAP ERP環境で稼働している機能をそのままSAP S /4HANAへ移行させるシステムコンバージョン方式は、基幹システムを再構築するリビルド方式と比較して、移行にかかるコストを約6分の1まで削減することができ、期間も約半分に短縮されるからだ。
このほかペーパーレス化の更なる促進のため、基幹システムのワークフロー機能を拡充し、SAP S/4HANA内で承認が完結するプロセスを増やしたため、リモートワークにおいても、滞ることなく承認作業が可能となった。
そして2019年11月に海外拠点向けの基幹システム「MUGEN」、2020年9月には国内向けの基幹システム「MIRAI」を、それぞれSAP ERP(ECC 6.0)からSAP S/4HANAへ移行し、稼働させた。
サイロ化の解消が大きな課題に
これで基幹システムの開発が終わったわけでない。むしろここからがデジタル総合戦略部が手腕を発揮する場面となる。
それがデジタル・グランドデザインの策定とその実現だった。全社員がデータに基づく迅速かつ正確な意思決定ができることを目指していた三井物産のデジタル・グランドデザインの骨子のひとつがデータサイロ化の解消だ。
総合商社は多くの事業を抱えているため、データサイロ化が起こりやすい。これは本社の業務システムでも起こっているのである。たとえばある事柄で人事総務部から報告をするよう求められたものが、同じようなことで今度は経理部から報告を求められるということもまま起こっていた。それだけではない。
決算報告や税務申告に使われる制度会計のデータが、企業が事業目標を達成するために経営資源を有効に活用し、各部門の経営パフォーマンスを最大化するための管理会計のニーズに応えられない。例えば稟議は案件毎に申請され、決算報告は会社単位で、温室効果ガス排出量は事業所毎に報告されるというように、報告単位の粒度があわないままデータが集積されてきたという部分もあったのだという。そのため部門間で情報共有ができず、全体最適を図ることができなかった。
「サイロ化を打破し、End-to-End(端から端まで)のプロセスで全体最適化していきましょうというのは、今後のグランドデザインの骨子の一つで、ちょうどシステムの入れ変えが始まっていますから、そこに乗せていこうという話になっているのです」(中島氏)
End to Endを意識した全体最適とバラバラに存在するシステムの入り口を一か所にまとめる「OIMOポータル~One Input, Multiple Output」を実現させた。つまり一回ユーザーがデータを入れば、そのデータは他のシステムや他のレポート(ソフトウエアのひとつの機能)でも活かせるようになるというものだ。
「それぞれシステムがあって、いろいろな処理をする。その上で最後のデータがDMPに保存され、そこからいろいろなデータがダッシュボード(複数の情報源からデータを集め、概要をまとめて一覧表示する機能や画面)などで活用できるような体制を今、作っているところなのです」(中島氏)
いきなりすべてのデータをDMPに移管することはできないが、すでにいくつかのシステムの部分についてはDMPに流し込みを始めており、連結決算系や基幹系のデータはすでにDMPに全部収納した。
ユーザーの意識を変えることは簡単にはできない
しかしこうしたサイロ化の打破というのは一長一短にできる話ではない。
「まさに今、まさに苦戦しているところで、各部門の業務要件があって、それを優先するシステムを作ってきているので、他部門が集めたデータも含め利活用することやシステムとしての一番良い在り方みたいなものがあまり意識されてこなかった。システム更改が始まったからといって、やはりそこのところは一朝一夕では変わらないのです」(中島氏)
そしてユーザー側からは今までと同じように作ってくれといわれてしまう。
「データの利活用まで考慮の上でシステムをつくっていかなければいけない、といってもなかなか理解してはもらえない。ユーザー側の要件定義部署にしてみれば、10年に一回、20年に一回の仕事なので、たまたまその時、その部署にいた人たちがやらされる。そのためそうした課題感への理解度が低いのも仕方ないのですが、ユーザー側にもシステムに対して知見・理解というものをしっかりともってもらいたい」(中島氏)
ユーザー側にしてみれば、自分たちがいままでやってきた仕事のやり方を変えたくはない。だから今までやってきたように、「そのままシステムを作ってくれればいい」ということになる。ところがシステムをつくる側からすればデータの利活用ができるようにし、全体最適を実現したい。だとすれば、全体のデータを統合して同じような形で使えるように、再定義しなければならないのである。
では、そうしたユーザーたちをどう説得してきたのか。
「当然、考え方の違いをどう相手に理解してもらうのか、現場の人に理解してもらうのか、いろいろ考えました。しかし結局、デジタル・グランドデザインの考え方を繰り返し繰り返し、トップダウンでもボトムアップでも発信し続けていかなければならない。そして相当丁寧に説明していくしかないと考えています。今ひとつ考えているのは、ユーザーの要件定義部署のガイドラインの作成です」(中島氏)
実はデジタル総合戦略部内でもガイドラインを作成したことがある。デジタル総合戦略部といえども、全員が全員プロジェクトマネジメントの経験があるわけではない。それでもときには経験のないメンバーがプロジェクトマネジメントをやらなければならないことがある。
そのようなときのために最低限これだけできればプロジェクトマネジメントができるというガイドラインを作成し、これがかなり効果を発揮している。
「要件定義部署が、『これだけやればできる』というガイドラインを今後、作っていきたいと思っているのです。そこには要件定義部署がやらなければいけないことや責任についても明文化していきたいと思っています」(中島氏)
役所や物流、貿易書類の一部は旧態依然
すでに次世代の連結決算系・与信管理系・社内稟議・投資先プロファイルなどでは要件定義をやり始めているところだという。
しかし現在の稟議書はワードなどテキスト形式の非構造データで作成されており、検索・集計・解析などをするには向いていないデータだ。これをどう要件定義して構造データにしていくのかが課題となっている。
「さすがに今は紙で稟議を回すといったことはしていませんが、なかには10万字を超えるものもあります。ここから構造データとして管理していくべき部分はどこか、要件定義の中で検討しています」(中島氏)
しかしすべてのデータがデジタル化できるわけではない。
「印鑑はほとんど使っていませんが、ときどきサインを使っています。特に役所などに提出する書類や物流系、貿易書類などの一部にはまだそうした習慣が残っています。それでもドキュサインの浸透やコロナ以降はかなりデジタル化が進んでいます」(中島氏)
不動産や人事系の書類などではいまだに紙で対応しなければならないものも残っている。また貿易の世界では印鑑を使う習慣が続いている国も少なくないのである。
「印鑑を使うのは日本だけではないのです。我々はグローバルなビジネスをやっていますが、実際に実印を押さないとだめだという国がアジアの中にも複数あります。一昨年までシンガポールで人事の仕事をしていましたが、バングラディッシュなどはまだデジタル化が進んでいませんでした。実際にシンガポールでさえ、一部ありました」(デジタル総合戦略部人材戦略担当の部長補佐、鎌谷栄志氏)
DXを含む企業におけるデジタルの取り組みには、様々なデータをアナログ形式からデジタル形式に変換する「Digitization(デジタイゼーション)」、デジタルデータ、デバイスやテクノロジーの利用によりビジネスの現場における手法、プロセスや生産性に大きな変化を起こす「Digitalization(デジタライゼーション)」、社会環境、顧客のニーズやテクノロジーに対してビジネスモデルや戦略を適応させていく継続的な営みを続ける「Digital Transformation(デジタルトランスフォーメーション)」の3段階が存在する。
Digitizationにはデータの分断化の問題、Digitalizationにはセキュリティの問題、Digital Transformationにはデジタルデータを活用するための組織や仕組みの未整備という問題が付きまとう。
こうした取り組みを戦略に基づいて企業全体で最適化しつつ実行し、企業が持つデジタルの顧客接点において、効率的かつ安全な運用と高度なユーザー体験を両立してビジネス成果を得るための羅針盤がデジタルガバナンスだ。
三井物産では2024年9月3日に「統合報告書2024」を発表し、DX総合戦略を効果的・効率的に実現するDX基盤として、システム・プロセス・データの全体最適を実現するデジタル・グランドデザインを策定したと発表した。
システム・プロセス・データの全体最適を実現し、デジタル・グランドデザインによりグローバル・グループ全体の競争力強化・企業価値向上を実現するという。
三井物産は2024年3月期にセキュリティ関連規定を刷新、グループサイバーセキュリティ原則準拠率向上。2023年3月にはセキュリティに配慮した社内版生成AI「MBK Private AI」をリリースし、全社共通 AI・特化型AI・事業系AIに分類される多数の生成AI関連プロジェクトを推進している。
ところでこれまで勘や経験に頼ってきた企業がデータドリブン経営をやろうとするときにどのようなことに注意すればいいのだろうか。ITやDXに詳しい米調査会社、ガートナーのリサーチ&アドバイザリ部門シニア ディレクターアナリストを務める一志達也氏は、日本企業のDX戦略の課題について次のように語っている。
「データドリブン経営とは何かというと、数字を交えずに感覚でものを言っていたところを、ちゃんと数字を交えて科学的に仕事をしましょうということなんですね。DX戦略でも同じことが言えると思いますが、大切なのは現場の納得感だと思います。これまで勘や経験に頼ってきた社員たちに対して『これからはデータドリブン経営の時代だから、データ基盤を整えてデータの民主化をする』といっても、データの民主化は何を意味しているのか、自分たちは何をすれば良いのか具体的なイメージがないから最初は反対する声すらもあがらない。会社側はそれで、全社一丸となってやっているつもりになって、『会社の仕事はこれから、科学的にやる。数値的な根拠もないような意思決定をしているようなものには、議決権は与えない』なんていわれてはじめて現場の社員は『そんなこと急に言われてもできるわけがない』と慌ててしまう。会社側と現場との間には大きな温度差が生まれてしまうのです。データドリブン経営を進めようとしている会社の中にはそんな会社がたくさんあるのです。確かにデータ分析の結果を使って仕事をした方が説得力や一貫性はあるし、何かうまくいかなかったときには検証することもできる。しかしデータを分析した結果から洞察を得て意志決定するというのは、難しいかどうか以前にかなり面倒くさいことなのです。しかも意思決定に必要なデータがすべてそろうとは限らない。一方で仕事は待ってくれないから『データを探している場合ではない』という反論が出てきてもおかしくない。だからひとりひとりが納得感を持てるようにことを進めていかなければならない。最初にしっかりと土台をつくり、きちんとした方向付けをしてあげることが大切なのだと思います」