革新への翼: 人財とテクノロジーで進化する日本航空のDX革命

成長していくためにはデジタルの力で変革することが重要
世界中を震撼させた新型コロナウイルス。その猛威の中で日本の出入国者は激減、航空業界を窮地に追い込んだ。その後コロナが収束すると訪日外国人の急増、燃料費の高騰など大きな問題が噴出している。
そのような中で日本航空(JAL)は2021年5月7日、「安心・安全」と「サステナビリティ」を未来の成長エンジンとして実現していく「JAL Vision2030」を掲げた「2021-2025年度JALグループ中期経営計画」を発表したが、その後のコロナの終息や大きな環境の変化を踏まえ、2025年3月21日には、2025年度の経営目標・利益目標の達成により中期経営計画を完遂し、2026年度以降のさらなる成長へつなげていくために、「ローリングプラン2025」を発表した。
コロナ禍からの早期回復と「JAL Vision2030」の実現に向けた5か年計画として、2023年度にはコロナ禍前の利益水準のEBIT(利払前・税引前利益)の見通しを1300億円、2025年度は1850億円以上を目標としてきたが、ローリングプランでは、2023年度は1400億円を達成し、2025年度の目標を2000億円に上方修正するという。
デジタルテクノロジー本部運営企画部部長の栗田和博氏は、DXの取り組みについて次のように語る。
「2030年に向けた成長戦略『JAL Vision2030』の中で、従来の『安全・安心』に加えて『移動を通じた関係・つながりを創造する企業へと成長することで社会的・経済的価値を創出し、企業価値を向上すること』を掲げています。成長のためにはデジタルの力で変革をしていくこと、これまで以上にDXへの取り組みが必要不可欠であると認識しています」
DXを支えるプラットフォームの構築
JALの「DX元年」と呼ばれているのが1995年。この年ホームページ「www.jal.co.jp」を立ち上げた。その後1996年には日本初の国内線のインターネット予約を開始し、1997年には国際線でもインターネット予約を、1999-2000年にはモバイル販売・コンビニ決済、1to1マーケティング等を開始した。
ところが2010年1月にJALは経営破綻し、その後経営再建に注力することになる。2012年に再上場を果たし経営が軌道に乗り始めた2016年。JALは再びDXに向けて新たな取り組みを始めた。
「ITイノベーション推進グループ」が同年4月に発足し、さらに2017年6月1日にはITなどの先端技術を活用してさらなる成長を図ることを目指す「デジタルイノベーション推進部」(2021年にはイノベーション推進部に名称変更)が誕生する。このとき著名なIT専門家、齋藤ウィリアム浩幸が非常勤執行役員として招聘されている。
ITなどの先進技術を活用してさらなる事業成長を図るためだ。経営破綻からの再生を経てコストコンシャス(採算意識)が求められ、社内は萎縮ムードが漂っていた。
そこで新しいことにチャレンジしやすい環境を整備するためにデジタルイノベーション推進部を設立し、社員が新しいアイデアを出し合い、業務改善や新規事業の創出を目指した。
はからずも2017年11月、旅客系基幹システム(PSS)が50年ぶりに刷新するという「SAKURAプロジェクト」が稼働し、事業の土台となるDX基盤が出来上がり、基幹事業の改革や新しいサービスの提供などをやっていくことができるようになっていた。
オープンイノベーションの要「JAL Innovation Lab(JALイノベーションラボ)」
しかし新しい事業を生み出していくのは人であり、人と人との出会いが必要だ。そこで2018年4月にデジタルイノベーション推進部の傘下に開設されたのがオープンイノベーションの活動拠点である「JAL Innovation Lab(JALイノベーションラボ)」だ。
これは、さまざまな部門で活躍する社内人材と社外パートナーシップの知見を集め、オープンイノベーションでDXを加速させ、IT部門の取り組みにとどまらず、全社で新たな価値創造を推進できる体制を整備するためのものだ。
立地は羽田空港や品川にあるJAL本社からほど近く、天王洲の運河に面した寺田倉庫内の500㎡のスペースに「アイデアを発想するエリア」「プロトタイプを制作するスペース(3Dプリンターをそろえたクラフトルームやキッチンスペース)」「プロトタイプを並べて検証するエリア(空港や機内をイメージした空間、チェックインカウンターや搭乗ゲート、機内の座席などが配置されている)」がある。
このラボは、社内外の知見を活かして新しい付加価値やビジネスを創出することを目的としている。ラボには、空港や機内を模したスペースがあり、アイデアを素早く形にして、立案から検証までの過程を一貫して行うことができる。
JALイノベーションラボは利用者が空港に到着して搭乗するまでの一連の流れに従って再現されており、現場のスタッフはもちろん、社外のパートナーとも協業し、アイデアや改善ポイントなどを話し合う場になっている。
ラボには30歳前後の若手社員を中心にパイロットやCA(客室乗務員)、整備部門、セールス部門、貨物や会社の枠を超えた様々な部署から約160人のメンバー「JALイノベーションラボ会員」が集まった。オンラインで海外から参加するメンバーもいるという。
組織改編の底流に流れる「SAKURAプロジェクト」の精神
2021年4月には顧客向けのシステムから客室乗務員、パイロットが使う業務用システムまで全社横断でデジタル化を進めるために、SAKURAプロジェクトを推進してきた「旅客業務改革推進部」(2019年4月に旅客システム推進部が名称を変更)と「デジタルイノベーション推進部」が統合、「デジタルイノベーション本部」が発足した。本部長には西畑智博常務執行役員が就任した。
さらに傘下のデジタルイノベーション推進部が「イノベーション推進部」(25人、2023年4月には事業創造戦略部と統合して事業開発部)に、旅客業務改革推進部が「デジタル推進部」(設立当初は70人でピーク時は80人)に名称を変更した。
デジタルイノベーション本部は当初100人程度で、SAKURAプロジェクトのメンバーがそ
の半数を占める。そのためSAKURAプロジェクトで培われた精神や知見、そして困難に直面しても立ち向かっていくチャレンジ精神を受け継いでいるという。
それだけではない。一丸となってプロジェクトに取り組んでいくという「プロジェクトマーケティング」の精神もまた「SAKURAプロジェクト」で学んだものだ。
実はこの「プロジェクトマーケティング」とは西畑氏が繰り返し発したキーワードで、大型のプロジェクトでは、現場も含めて、このプロジェクトでは「何が重要なのか」「何のためにやっているのか」ということをしっかりと理解して共有しつつ、決められたスケジュールの中でしっかりと管理していくことが重要だという。「コミュニケーションマネジメント」と「スケジュール管理」という2つのマネジメントを総称してプロジェクトマーケティングと呼んでいる。
SAKURAプロジェクトでは社内外の多くの人たちが関与し、関係者の気持ちを一つにまとめて一丸となって進めていくことが非常に重要だった。そこで西畑氏は関係者の気持ちをまとめるために旗を作って寄せ書きをしたり、「One boat(ワン・ボート)」という言葉をメンバーに繰り返し伝えたりして、関係者の思いを一つにし、しっかりとスケジュールを遂行した。DXの取り組みでもこうした精神は連綿と続いている。
デジタルイノベーション本部はシリコンバレーに拠点を持ち、スタートアップやベンチャー企業に出資したり協業したりして、事業研修などの新たな事業につなげていけるよう進めている。
DXの狙いは「顧客体験価値の最大化」と「社員体験価値の最大化」
そして2021年5月7日には「2021-2025年度JALグループ中期経営計画」が発表された。
JALのデジタル・IT戦略は「人材×テクノロジーを融合してDXを推進し、あらゆる体験価値を最大化」することで、「顧客体験価値の最大化」と「社員体験価値の最大化」を図るというものだ。
「顧客体験価値の最大化」では①ひとりひとりのニーズ・状況を察知したサービスとコミュニケーションの実現②MaaS等を活用したシームレスなサービス③モバイルアプリのグローバルマーケット対応拡充・各種サービスとの接続④空港・機内サービスのモバイル化・セルフ化の推進――を進めている。
「お客さまの搭乗データなど、データウェアハウスを活用し、マーケティングにつなげていけるような取り組みを行っています」(栗田氏)
こうしたマーケティング用のデータを構築するにも様々な苦労がある。
搭乗客の予約データはアマデウスのデータベースにある。そこからデータを取り出し、成型して分析用のデータとしてデータウェアハウスで保管する。このとき名前などの個人情報などに関わる部分などはマスキングなどをして加工することになるわけだが、その作業がかなり膨大な作業となる。
「予約記録には、お客様個人に関する情報とフライトに関する情報が混在しており、個人情報の取り扱いへの対応に加え、データの正規化を行い、データウェアハウスに保存する必要があり、データ分析基盤への取り込みは大変な作業となりました」(栗田氏)
また「社員の体験価値の最大化」では①AI・RPA等による自動化・効率化で、人財は付加価値の高い業務に集中②5G等による高速・安定したリモート/テレワーク環境の構築③運航データの統合によるオペレーションの高度化④新技術を融合させた故障予測等による安全の強化――などを行っていくというものだ。
「当初『人財×テクノロジー』などいろいろな言葉を使っていましたが、今は『価値創造・成長を実現する事業戦略』そのものであると理解しています。『デジタル技術を活用した新規事業の創出』、 もう一つは、『航空機事業の既存業務におけるデジタル変革』の二つをDXの柱として捉えております」(栗田氏)
「JALイノベーションラボ会員」も200人を超え、体制も充実。日本IBMなどIT企業や商船三井などの異業種で構成される12社のラボアライアンスと3000社(100社以上)のパートナーも共創している。
それを複数のチームに分け、1年間の間に現場感覚をラボに持ち込み、アイデアを出してから企画、プロトコルテストなど全工程に参画する。
具体的にはアイデアから具現化まで「3か月」という制限が設けられ、スピーディーな対応が求められる。ここでもまたアジャイル的な開発が取り入れられている。
「データを用いた予測整備」もラボで検討された課題のひとつ。飛行機に故障はつきものだが、壊れてから修理するのではなく事前に故障を予測できればより安全性を高めることができる。
航空機のチェックインでも、顧客視点でいかにスムーズかつ快適に旅立つことができるのかを考え、カバンを置ける荷台の設置や圧迫感に導線、カウンターによらずに搭乗できるスマートチェックイン機を設けることなどもここで検討された。
DX人材育成が課題に
DXを進めていく上で大きな課題となっているのがDX人材の育成だ。ビジネスもデジタルもわかる人材。変革を推進していく人材。そんな人材を育成していかなければならない。
ここでいうDX人材はデータサイエンティストのようなハイエンドなテクノロジーを活用するIT専門人材ではない。今後当たり前のように使われるITビジネスツールを使いながら、事業を改善するような一般の社員だ。
そうした社員の意識改革を行い、デジタル人材を育成していくことが「デジタルイノベーション本部」の大きな役割となっている。
「全社員向けにDX教育を2023年から進めています。内容的には全社員を対象にデジタル化を啓蒙するような取り組みから、実際にツールを使って自分の身の回りの業務の効率化、改善をはかるような取り組み、業務改革に向けたものなどを階層別(4階層)に分けて、教育を実施しています」(栗田氏)
4階層は、①デジタル意識の醸成、②ツールを駆使し日常業務の高度化・効率化、③中期経営計画で掲げた戦略の実行を担い業務変革を推進、④中期経営計画におけるDX戦略を策定するツールを使って戦略を展開する、に分かれるという。
そして①は全社員が対象で年間2回の講習があり、②では業務改善プラットフォームのKintone(キントーン)やデータの可視化ツールのTableau(タブロー)などBIやローコード、ノーコードの講習を年間数百人の単位で行い、③では、外部リソースも活用し、百人の単位で課題解決などの業務変革の講習を実施。④のレベルでは戦略を策定するような社員を育成すため、部門のビジョンや現状課題から、戦略策定に向けた講習を行っている。
さらに新型コロナの蔓延もまたこうした改革の後押しをした。コロナで飛行機が減便されたことでこれまで多忙だったパイロットや客室乗務員に時間の余裕が生まれ、業務改革や新規事業に関わるようになった。
「エアモビリティ」の事業化が今後の課題
デジタルイノベーション本部は「未来を見据えた新規事業の創出」で、「エアモビリティ」に注力していくという。
2024年4月1日、IT企画本部とJALのデジタルイノベーション本部傘下のデジタル推進部が統合されてJALのDXを推進する「デジタルテクノロジー本部」(240人)が誕生。さらにデジタルイノベーション本部は新規事業の創出を担当する「イノベーション本部」(約70人)に名称を変更した。
「DXを進めながらセキュリティも担保する体制になっており、外部の知見も活用しながら、システムの監査や検査なども進めています。社会インフラでもある航空会社としてサイバー攻撃への対応は最重要事項の一つであり、webサイトなど外部からアクセスできるようなところには特に注意を払っています」(栗田氏)
一方でイノベーション本部はドローンや空飛ぶクルマなどの陸海空のMaaS事業に力を入れている。
デジタルテクノロジー本部は2025年4月1日、JALインフォテック(JIT)が一体化し、「JALデジタル株式会社」(仮称)として新たにスタートする。
この統合により、JALグループのDX(デジタルトランスフォーメーション)戦略がさらに強化され、持続的な成長を目指す。新会社は、デジタル技術を活用した情報の収集、処理、および提供業務、システムおよびソフトウェアの設計、開発、販売、保守業務、デジタル分野における教育・訓練、コンサルティングおよび市場調査など、幅広い取り組みを行う予定だ。
今後の課題について栗田氏は次のように語る。
「点の改善ではなく、業務そのものを変革していくというようなことを一つでも二つでも、成功事例として作っていきたいと思っています。それができると、『こういうふうにやっていくんだ』『こういうふうにやらなきゃいけないんだ』ということが全社的にもいい意味で広がっていく。今はまだ何となく『DXは大事なんだ』『変わらなきゃいけないんだ』ということで、皆さん頭ではわかってはいるとは思いますが、『私が何をすればいいんだ』というところはまだ、皆さんもがき苦しんでるような状況です。だから一つでも二つでも成功事例を作っていきたいと思っているところです」(栗田氏)
企業のDX推進に詳しいDNTI社長の西村大輔氏は次のように語っている。
「JALはJALイノベーションラボを通してさまざまな部署の社員の声を拾い、IT部門と結びつけることによって社内DXを進め、一定の成果を上げてきました。会社が抱える課題や仕事についても実際の現場のユーザーとIT部門がタッグを組むグループプロジェクトというやり方は非常にいい取り組みだと思います。一方で、業務やデータ、ユーザーのタイプ別にシステムのアーキテクチャがきちんとできていないと“無用の長物”ばかりつくりだしてしまうことにもなりかねません。また、現場の声というのは得てして保守的で、ミドルマネジメントなどから『仕事のやり方がかわってしまうのは困る』といって反対の声が上がることも少なくありません。その結果、抜本的な業務改革をすることができずにシステムの使い勝手を少し改善する程度で、新規システムを導入するくらいの費用が掛かってしまうということもあります。IT部門主導で、業務改革とシステム化/DX化のルールやガイドラインをつくり、その範囲の中で社内の声を集めながら必要なことを進めていくという体制を作ることが大切です」