AI活用による保険代理店の変革―人材育成と業務効率化の新戦略とは?

新しい世代を育成するスキルが重要

保険業界は、激動の時代に突入した。契約数の伸びが鈍化している中で、100社以上の生命保険や損害保険会社が生き残りをかけてしのぎを削っている。成熟化する保険市場の中でその最前線にいる保険代理店もまた、厳しい環境に立たされている。

「大手の生命保険会社は営業職員さんが自宅に訪問して、自社の商品を販売しますが、私たちは46社ある生損保会社の商品を取り扱い、どのような商品がそのお客様に最適であるのか、を判断しながら進めていかなければなりません。保険商品は保険会社ごとに何商品もありますから、これらの商品の特性をすべて一人の社員が把握して最適なものを選びだすというのはかなりハードルが高いと考えます。どうしても5、6個の商品を見比べて最適なものをお客様に提案するという形になってしまいます」

保険見直し本舗の遠山拓馬社長はこう語る。

保険見直し本舗は2001年にウェブクルーの子会社、有限会社カスタマーズインシュアランスサービスとしてスタート。2003年には株式会社化し、2007年に保険見直し本舗に社名を変更した。一人の担当者が一人の顧客とその家族を担当するという専任担当制を敷き、現在は全国に358店舗を展開している。

「当社は中長期的なビジョンとして、『ライフサポートプラットフォーマー』を掲げて、お客様の人生に寄り添うビジネスの多角化を進めていきたいと思っています。保険以外にも住宅ローンは第2の柱になっていますし、介護の相談もまだ3店舗だけですが、今後の柱にしていきたいと思っています。だから一生お付き合いさせていただくというコンセプトで、一人の保険の募集人(営業社員)がお客様やその家族、親族、友人などを担当させてもらう仕組みをとらせていただいています。コロコロ担当が変わってしまっては、お客様の人生に寄り添うことができないと考えるからです」(遠山社長)

しかし前述のようにしかも膨大な保険商品を比較するのは簡単なことではない。さらに募集人には個人差がある。新人とベテランでは経験が違うし、個人個人の能力差もある。

「15年前は乗合代理店といえば、われわれともう一社ぐらいで、市場は急成長していましたが、それほど深いノウハウというのはあまり必要ではありませんでした。しかしこれだけ情報化社会が発展し、お客様のニーズも多様化しています。そうしたニーズに対応するためのスキルを再現できる仕組みづくりというのが大きな経営の課題となってきました」(遠山社長)

それだけではない。世代交代の問題もある。

「私たちの募集人は全国に550人ぐらいいます。しかしトップ100に入るような人は10年選手のような人たちで、ベテラン層がトップを走っているという時代が長く続いているのです。次の世代を育てるということが重要な経営課題になります。そのため教育カリキュラムや教育マニュアルの見直しは進めてはいますが、今の時代、スピーディーに対応しようと思うと、デジタルを活用した取り組みがどうしても必要だと考えたのです」(遠山社長)

AIによる社員教育の課題は商談のデータの収集

ではどのような取り組みを行おうとしているのか。若手の教育カリキュラムや教育マニュアルなどの座学だけでは本当のビジネスを学ぶことはできない。先輩の営業面での技術承継が重要だが、営業のノウハウというのは簡単には教えられない。また最近ではジェネレーションギャップがあって、先輩が後輩とうまくコミュニケーションをとりながら指導していくのもそう簡単なことではない。しかも新人社員は何も20代とはかぎらず、40代、50代で中途入社してくる社員もいるから、若い幹部社員が年配の新人の指導に当たらなければならないこともある。先輩が後輩を指導するにはますます難しくなっている。

そこで遠山社長が考えたのがAIなどデジタル技術を活用した社員教育だ。ではどうやってデジタルを活用すればいいのか。

「大量の商談データを集めてAIに解析させ、成約率を上げるためには何が重要なファクターなのかをAIが助言できるような仕組みづくりをすることが重要だと思うようになったのです」(同)

しかしここで問題になるのが商談データをどのように集めるのか、ということだった。保険見直し本舗では、これまで顧客と面談した募集人が、面談後に商談について報告書をまとめていた。ここにはいつ、どこで、誰が、どのような顧客に対して、どのような提案をおこなったのかが記されている。

「保険ショップの商談では、お客様の健康状態や経済状況、これまで加入していた保険などを伺いながら、お客様のご意向に沿った保険商品を複数比較提案しています。このとき募集人は、丁寧なヒアリング、傾聴の姿勢が重要になるため、お話をしながら詳細記録を残すことが難しく、面談終了後に記録することになります。お客様の対応が連続する場合は、一日の終わりに記録することもあります。そのような中で、時にはメモを忘れたり、メモ自体が間違っていても記憶が薄れて気づけなかったりすることもあります」(同)

しかもこの報告書も個人の裁量によって内容にはかなりばらつきがあるという。

「どのような契約に入っていて、どのような提案をしたのかを最低限、記入する必要があるのですが、どういう経緯で相談に来たのか、という点が抜けてしまって、結果の部分だけが書かれているレポートが多かったのです。それはベテランでも同じでした。また優秀な営業マンでも、レポートを書くのが必ずしもうまいとはいえないです」(同)

そこで注目したのがAIを活用した音声データの書き起こしと要約だった。しかしAIを活用したシステム開発を保険見直し本舗単体でできるわけがない。技術面をカバーしてくれるパートナーを探さなければならなかった。そこで白羽の矢が立ったのが、会議の自動文字起こし、営業日誌作成のアシスト、自動データベース化といった機能を連携して提供することにより、商談で得た情報を蓄積し次の商談に活かすまでの一連のサイクルを効率化し、営業活動やコンプライアンス業務にかかる事務コストの削減を目指す「Finatext Advisory Assist」を開発した新興のAI支援スタートアップのナウキャストだった。

「ナウキャストのグループ会社、Finatextにはいろいろお世話になってきていました。保険見直し本舗のアプリを開発したのもFinatextですし、いろいろな案件でお付き合いがありました。だからうちのビジネスモデルもよくわかっていただいている。そしてAIの技術についても最先端の取り組みをしているベンチャー企業でしたので、相談させていただきました」(同)

ナウキャストの前身は東京大学経済学研究科渡辺努研究室で取り組んでいた「東大日次物価指数(現:日経CPINow)」プロジェクト、2015年2月に大学発フィンテックベンチャーとして起業、POSデータやクレジットカードの決済データ、求人広告データなどの「オルタナティブデータ」を多数扱い、生成AIを活用した事業者の業務支援に取り組んできた。また独自の経済指数を開発し、経済統計のリアルタイム化や企業の経営戦略の見える化を行い、国内外250社以上の金融機関、シンクタンク、政府、政府系金融機関、海外ヘッジファンドの資産運用、経済調査業務を支援している。

それだけではない。生成AIでは重要視されている「データセントリックAI」に強みを持っている。従来のAI開発では、モデルの改良に注力する「モデルセントリックAI」が主流だったが、データセントリックAIでは、モデルを固定し、データの品質を向上させることでAIの精度を高めることを目指している。機械学習の分野で注目され、データの収集、ラベリング、クリーニングを徹底することで、より正確で信頼性の高いAIを構築できるといわれている。質の高いデータを収集してAIでの教育システムを構築するには最良のパートナーだ。

ボタン一つで誰もが簡単に使える仕組みにする

遠山社長がナウキャストのシニアデベロッパーだった片山氏に最初に相談を持ち掛けたのは2024年2月ごろだ。保険代理店向けのシステムははじめての取り組み。

ナウキャストは2024年4月に「Finatext Advisory Assist」の提供開始を控えており、これをどう保険見直し本舗向けにアレンジしていくかが課題となっていた。

「私が一番心配していたのは、実際に仕組みを作っても、現場が本当に使ってもらえるかどうか、ということでした。AIというとなんだかとっつきにくいイメージがあるじゃないですか。新しい取り組みに対して抵抗感を持ってしまうのではないかと思ったのです。3つ4つの動作が必要なものでは使ってもらえない。そこでボタンを一回押せば、あとは自動的に書き起こしされて要約されるような仕組みにする必要があったわけです」(遠山社長)

ここからナウキャストとの本格的なシステム開発がスタートする。まずはAIに保険事業について機械学習させなければならない。

最初に直面した課題は書き起こしの精度の問題だった。

「書き起こしモデルは汎用的なので、実際の保険の商談音声を使って試してみると、やはり判別できない専門用語などがかなりあることがわかりました。そこで最終的にはオープンソースの書き起こしモデルをチューニングしながら活用していこうということになりました」(同)

最初の精度は単語ベースで75%程度だったのが、ファインチューニング(すでに学習済みのAIモデルに対して、追加のデータを用いて再学習を行い、特定の用途に最適化する技術)により87%まで上昇した。

「9割近くまで精度を上げることができれば、あとは本人が単語をちょっとチェックするだけで報告書を作成することができます。しかも要約する能力は非常に高いので、これなら現場でも喜んで使ってくれると思いました」(同)

さらに一からAIを使わずに報告書を作成するには15分ぐらいかかっていたが、AIを活用すればわずか10分かからない程度でできてしまう。

「別に業務の効率化が私の主眼ではなかったのですが、うちは延べの商談数は月に1万2000件あるわけですよ。一件10分削減できるとすると、月12万分(2000時間)を削減できるわけです」(同)

AIが理解できる日本語にするのに苦労

「Finatext Advisory Assist for 保険代理店」には会議の書き起こし機能や要約機能以外にも商談がきちんと行われているのかファクトチェックしレビューする「セールスアシスト」という機能がある。

こうしたレビューをさせるためにはAIに保険見直し本舗の基本的な考え方や営業のポイントなどを機械学習させる必要がある。

機械学習を担当したのがコンサルティング事業本部リアルショップ運営統括部統括部長の斉藤武志氏だ。トップ営業マンだった斉藤氏は自分の知見を10程度のテーマにまとめて学習させた。斉藤氏はいう。

「初回のお客様に必ず聞く事項というものを、全て細分化して提出させていただきました。難しかったのは、自分がやってきたことをAIが理解できるように言語化するには苦労しました」

さらにAIのチューニングにも苦労したのだという。

「ファクトチェックといっても本来聞かなければならないような『家族構成や年収、資産額をきちんと聞いているのか』、当社が決めている『遺族保障、病気、ケガなどの11の目的(リスクに対する対応)』を案内し、お客様のご意向を確認しているのか、といったことをチェックする機能です。AIに対する指示は日本語で、これはかなり細かくチューニングしなければならなかった。普通の日本語とAIがきちんと理解できる日本語とはちょっと違う。『YES』『NO』でこたえられるようなプロンプトをAIに出してやらなければならない。ナウキャストさんと何度も相談しながらチューニングを繰り返しました」(同)

実証試験は2024年4月からスタート。11月中旬から中国、四国エリアでトライアルが行われた。ところが最初のころは利用してくれるのが全体の3割程度。さすがに事態を重く見た斉藤氏が管理者に「食わず嫌いをせずに、とにかく使ってくれ」と発破をかけ、利用者が7割まで拡大、最大で9割の社員が利用してくれているところもでてきた。

トライアルが行われた店舗の募集人からは「商談と事務作業を同時進行でできることで業務時間が大きく短縮され、本当に便利になった」「客観的かつ詳細に記録が残るため、伝え忘れに気付くことができて助かった」といった事務的な作業時間が短縮されたことによる効率向上や、商談後のフォローが可能になったことで顧客対応に注力できるようになったという声があがった。

また管理職は、商談や録音・文字起こしされたものを振り返ることにより、「部下からの報告メールの内容が記録に基づき具体的になったので、的確なフィードバックができるようになった」「空いている時間に部下の商談を必要部分だけ切り取って確認ができ、改善につながっている」という。

「正直7割使ってくれれば合格点だと思っていたのですが、9割近い店舗もあるということで、これはもうパーフェクトといってもいいんじゃないかと思っています。今後は九州、千葉エリアに拡大し、そこで実績が上がれば大阪、東京などでも広がっていくんじゃないかと大いに期待しています」(遠山氏)

社員教育の課題は営業の見える化

今後の課題はまずこのシステムを全店舗に広げていくことだ。導入しているのは現在60~70店舗。これを2025年9月末までには358店全店で導入していくことを目指しているという。そしてそこで収集した営業のビッグデータをどう活用していくのか、ということがその先の大きな課題となる。

「私たちのビジネスモデルはオフィスに上長と部下が並んで座ってコミュニケーションをとるというスタイルではなく、お客様に合わせて募集人が転々とするというスタイルをとっていますから、上長と部下が物理的なコミュニケーションをとることが難しい場合も多々あります。自己学習を促せるような仕組みを作っていくことも大事なデジタルトランスフォーメーションの一つだと考えています。セールスアシスト機能と当社が利用している教育プラットフォーム(ベンダーが提供している営業職員向けの教育ツール)を連動させて、1カ月間の相談内容をすべて集めて総合スコアリング化して、弱い部分を明らかにしてどのような学習や研修をやった方がいいのか、ということをレコメンドできるような仕組みにまでもっていきたいと思っています」(同)

このとき重要なのはゲーム感覚で楽しく学んでいけるような仕組みだという。

「集団研修やエリアマネジャーが一人ひとりとコミュニケーションをとりながら教育していくということも重要ですが、それには限界があるんではないかと考えているのです。営業能力というのは言語化されていない部分が多いので、わかりづらいところがあるからです。それを見える化することで、弱点がわかるようになる。そのうえで、ゲーム感覚で楽しく克服できるような仕組みをつくることで、一人ひとりが自分自身でPDCA(Plan(計画)・Do(実行)・Check(評価)・Action(改善))を行っていけるような仕組みをつくっていくことが、教育の観点でのDXだと考えているわけです」(同)

さらにその先にはエリアマネジャーのかわりにAIエージェントによるコーチングが行えるような仕組みづくりにも大きな期待を抱いているという。

AIに詳しいConvergence Lab.社長の木村優志氏は次のように語っている。

「電話営業をやっている会社で、営業データをAIで見える化すると、営業マンのパフォーマンスが向上したという話を聞いたことがあります。文字だけでなく、数字などで定量化することで、営業マンはその数字を追って自分で改善ループを回していけるようになり、どんどん営業が上達したそうです。文字情報だけでなく、数字化するというのがひとつのポイントだと思います。電話での商談などでは、トーク・リッスン比率という考え方があって、自分が話をしている割合と相手の話を聞いている割合を比較して、ある程度確度の高いお客様の場合は自分が7:3でこちらが長く話すことが効果的で、逆に確度の低いお客様に対しては7割お客様の話を聞く方が効果的だという研究データがありますから、こうしたものを数値化するとわかりやすいのではないかと思います」

さらに今後の展開についてもその課題について次のように語る。

「今後の展開については、最近はやりのAIエージェントのような取り組みになってくると思います。LLMとシステムをつなげるには、ラングチェーン(LangChain)やディファイ(Dify)などの手法があるんですが、問題は企画をどうするか、ということです。そもそも何を達成したいのか、という要件定義がどこまできちんとできるのか、というのが大きな課題となります。LLMはなんとなくあいまいな形でもできてしまうので、要件定義が後回しになってしまうことも往々にしてあります。さらにAIエージェントによるコーチングを進めていく場合には、推薦システムのようなものがあれば、いいのですが、推薦システムを使う場合は、その仕組みの性質上、どうしても選ばれやすいものが選ばれるので、どうしても埋もれている大切なものが当てはめにくかったりする。そうした点を注意する必要があると思います」(木村氏)



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